三木 治代様
先代院長の元で長年従事され、今は患者としてご縁が続いているという三木様の思い出をお話いただきました。 メッセージを読む
三木 治代様
私が関口歯科とのご縁を結ばせていただいたのが半世紀以上前になります。
最初お世話になったのが二十歳でした。
それから二十七年間は大先生(晃)の下に勤めさせていただきました。
その後は祐二先生に歯の治療でお世話になっております。
大先生との思い出は沢山ありまして、私の希望で旅行に行く為に積立をし、北海道から九州まで大まかな所には行かせて頂いたと思っております。
友達にも羨ましがられました。
特に一番の想い出は診療所をリフォーム中に一週間行けたことです。
これは余談になりますが奥様が大きな木彫りの熊が気にいって買って帰った所、余りの大きさに家族には不評だった事。
ゴールデンウィークでは旅行客が多すぎてJRの指定席に座ることが出来なかった事。
四国では予約をしていたのにも関わらず夕食が出てこなかったこと。
やっと出て来たと思ったら有り合わせって感じでみじめな夕食でした。
想い起こせば次から次へと思い出されます。
ただ残念だったのが沖縄に行けてない事でした。
今だに縁がなく行けていません。
後に大先生が夫婦で沖縄に行かれた時、奥様は京都の方なので食事の味付けが合わなかったらしくて「あっさりとした物が食べたいなァ」と思っていた所、看板に『めんそうれ』と書いてあったので、「あっ『そうめん』が有る」と思い注文すると「あれは『いらっしゃい』と言う意味ですよ」と言われたそうです。大笑いしました。
それに大先生はと言えば誰もが認めるお酒です。
切っても切れない話が沢山あり過ぎて話きれません。
これも大先生の話ですが、早朝に吐血をし、救急車で運ばれた事です。
たまたま私が病室にいた時、輸血の時間になり、輸血の最中にだんだんと顔色が悪くなり、奥様に「看護師様に言った方がいいよ」と言って知らせた所やっぱり血液型が合ってなかったみたいで交換をしたとたん顔色が良くなってきました。
又、心臓で入院をした時はベッドに括り付けられた事。
胃の手術で入院した時のこと。
あらためて思えば大病をよくくぐり抜けてきたなァと思います。
家に遊びに行った時の事を思い起こせば次から次へと思い出されます。
と書いている最中テレビで日曜美術館に岡本太郎の写真が写った時、あっ先生やっぱりそっくりやなァと懐かしく思いました。
思い出は書いている最中にも切りがありません。
長い間勤めさせて頂いたお陰で家族のように接していただきありがとうございました。
今は祐二先生に歯の治療、メンテナンス等でお世話になっております。
これからもよろしくお願いします。
中村 日登美様
与えられた機会への感謝、平静に生きるというお父様の教え。過去の経験を共に、お話いただきました。 メッセージを読む
中村 日登美様
相生交通安全協会婦人部の地区役員を頼まれ、何もわからないまま活動に参加し、今日まで四十年以上が過ぎました。その間大変な時もありましたが、県の研修会、西播の研修会、部長会と出席させていただき多くの方と交流が出来、続けていて良かったと思います。
今も婦人部の皆様の協力をいただき、毎年市内のすべての小学校、幼稚園、保育所をまわり、子供たちの為の交通安全教室を開いていましたが、令和三年五月の小学三年生対象の自転車教室の始まりの日を目前に、私は両足のリンパの炎症で立ち上がったとたん思い切り尻餅をつき倒れ入院してしまい参加することが出来なくなりました。
骨折はしなかったけれど腰や坐骨の神経をかなり痛めてベッドから起き上がる事が出来ない毎日が続き、「このまま寝たきりになるのじゃないか」とか、「ずっと人に世話をかけて生きなければならないのじゃないか」とか、「退任すべきでは」とか、天井を見つめ、あれこれ思い悩みました。
局長にやめさせて欲しい事を伝えたら、「役員のみんなが、元気になって戻って来てくれるまで、みんなで頑張ろうとやってくれてるから、こちらの事は心配せず、今は辞める事を考えるより、自分の身体をなおす事を一番に考えるように」と。そして理事さん達は『明日の自転車教室、暑くなりそうだけど運動場での一時間、みんなで頑張ろうね』とラインを送信してるのを、私は見るだけで送信することが出来なかった。
その後もラインを使って色々励ましてもらい、「一生懸命頑張ってくれてるみんなの気持ちに応えず、このままでは辞められない。何が何でも杖をついてでも歩けるようになりたい。歩いてみんなと会いたい」こう思い出せた。
おかげで一ヶ月半を過ぎた頃に、ベッドから床にリハビリの療法士さんに支えてもらい立つことが出来、その後車椅子に乗り移れるようになった時の感動は忘れられません。
退院後もみんながサポートして役員会や反省会等、連れて出て参加させてくださったおかげで早く元気になれたのだと感謝しています。
亡くなった父が、「後を頼まれ人の世話をさせてもらえる機会を与えてもらった事をありがたいと思わなあかん。自分の儲けや損得でするんと違うんや。イヤな事やバカにされたり文句を言われたりする事もあるけどいつかは自分に返ってくるんや。自分に返ってこなくても、きっと子供や孫達の為になるんや。バカにされても騙されても、騙す人間になったらあかん」
そう教えてくれた父。父も人間だから欠点がないとは言えないけど、他人はもちろんの事、家族に対しても声を荒らげて怒鳴りつけたりするのを私は一度も見たことがない。
「自分がそれでいいと思うなら、したいようにしたらいい」と静かに言われる方がずっと堪えます。
私は腹を立てたり、イラッとしたり、きつく言ってしまったり、まだまだ父の足元にも及ばないけれど私の子供や孫達に少しでも伝わってくれれば、そして多くの人との場を大切に歩んで欲しいと願っています。
後になりましたが、何を書けばいいのだろうと悩みながらもあれこれ考えたり思い返したりする機会を与えて下さった百周年を迎えた関口医院の皆様にお祝いと感謝を申し上げます。ありがとうございました。
寺前 直一様次世代を担う子どもたちへ
「夢を叶えるために大切な能力」とは何か。
夢を叶えた寺前様の教え子を例に、お話しいただきました。メッセージを読む
次世代を担う子どもたちへ 寺前 直一様
2019年12月22日、ミルクボーイがM-1グランプリで優勝し、「日本一の漫才師になりたい」という夢を叶えた。夢を叶えるための大切な能力はとは何だろうか。
ミルクボーイの内海君とは今から26年前に出会い、小学校教諭として2年間、彼を担任した。
卒業式で自分の夢を語る場面では「内海崇、スマートになりたいです。」と言い放ち、式場が笑いの渦に巻き込まれた。今思えば、その頃からみんなを楽しませる才能があったのかもしれない。しかし、それだけでは、M-1グランプリに出場しても優勝できなかっただろう。
彼は、5年生の4月にけん玉遊びと出会い、わずか1年でけん玉道初段に合格した。学校でも家でも決してあきらめることなく練習を積み重ねたのである。
ダックワース氏は著書「GRIT」の中で、人生のあらゆる成功を決める究極の能力は、テストでは決定できない非認知能力「やり抜く力」であると述べている。内海君も小さい頃から、きっと「やり抜く力」を育ててきたのであろう。
夢を叶えるために、けん玉・縄跳び・習い事等、どんなことでもいいから目標の達成に向けてあきらめずにチャレンジしよう。そして、小さな成功体験を積み重ねながら自尊感情を高め、「やり抜く力」を身に付けてほしい。
夢を叶えるために、けん玉・縄跳び・習い事等、どんなことでもいいから目標の達成に向けてあきらめずにチャレンジしよう。そして、小さな成功体験を積み重ねながら自尊感情を高め、「やり抜く力」を身に付けてほしい。
町田 榮一様今昔ものがたり(関口歯科と私)
昭和30年代半ば、先代院長の頃からお付き合いがある町田様。60年以上にわたる当診療所とのエピソードです。メッセージを読む
今昔ものがたり(関口歯科と私) 町田 榮一様
令和4年師走も押し迫った頃、関口歯科診療所関口祐二院長より電話頂く。
当院は来年開業百周年を迎える事となり、記念誌を編集するに当たり、古くより私共の歯科を利用されている貴方に感想やエピソードがあればと現行のご依頼を頂いた。
関口祐二院長のお話の中に、初代は日本歯学会のパイオニアに師事し、大正12年(1923年)東京で開業されたが関東大震災で被災。その後、関西へ姫路へと移り西塩町で開業、私で三代ですと申された。
小生が、関口歯科の名を知ったのは昭和30年代の半ば35,6の頃。小生の勤務先で山陽電鉄亀山駅の近くで開業されたことに始まります。
開業され1ヶ月ほど経った頃、小生は虫歯の痛みで亀山の関口歯科へ行き診察室へ、関口晃院長は優しい眼差しで笑みを含んだ顔で迎えられ虫歯の状況を話し、治療をして頂いたのが初めての治療であり歯は抜かれず、歯を大事にしてくださいよと言われた。以前、歯科医2件共抜歯されたことを思い出し、今振り返ると関口歯科にお世話になり60年以上経っているんだと思うと、感慨深さを身に染みております。
其の後昭和43年春、山陽電鉄手柄駅前に新築の手柄農業協同組合会館2階に移転された。
この場所は立地が良いのか、足繁く通う診療客が日毎に多く感じられた。
小生は、晃院長より歯の調子が悪いと思ったらいつでも来なさいと声をかけて頂いていたので、よく通い噛み合わせが良くないとか、ブリッジがどうだとかで度々足繁く通ったことが思い出される。
小生は歯性がよくない人間だと思っている。勤務先の業種は和菓子原料製造メーカーで、営業担当で和菓子製造業者へ得意先周りする中で菓子の試食をすることも多々あり、甘い味が長時間口中に遊んでいる状態で歯が傷むことが当然である。
ここでエピソードを1つ。
わが子供達3人もよくお世話になった。いつも母より食事の後には歯磨きを忘れないでと言っていたが、次男が手柄小学校5,6年の時、下校の際には帰宅よりも先ず、関口歯科へと大勢の友達を引連れ待合室へと賑やかになる(宿題のことの話やら学校内であった事柄の話で花を咲かせていた様だ。)小生が後日関口歯科へ行った際に、二代関口晃院長より聞かされ汗顔の至りであった。
後ほど、次男に関口歯科での事を尋ねると友達は歯医者がどんな所か見てみたいから始まり、何回かあったとの返事で、ご迷惑をお掛けし申し訳ない気持である。(通学へは自宅より2kmで、関口歯科へは学校より200m)
我が家で最後にお世話になるのは妻である。今より約10年程前のこと、胃癌の手術後抗がん剤の服用を1年余り続けた結果、歯に異常を感じ関口歯科で診療して頂いた処、小さな目視ではわからない虫歯があちこちにあり治療して頂き、現在も予約し定期的に診察をして頂いているが、妻の歯は90歳の現在、親から頂いた歯が上下合わせて24本が健在である。なぜだろうかと考えた。
小生は朝と就寝前に洗面所で歯磨き剤で磨いているが、妻は食した後に洗面所で必ず歯磨きを行っているが、若い頃より塩を使っているその差が現在の状態であるんだと納得せざるを得ないと脱帽した。
この60数年関口歯科でお世話になり、今振り返って2代関口晃院長のお人柄は常に暖かさに包まれ患者に対して安心感を与えるお方であり、現在診療されておられる3代関口祐二院長はどちらかといえば学究肌で細部に亘り診療され丁寧に説明されているお姿に感服した。
最後になりましたが、関口歯科診療所の弥栄をお祈りし擱筆致します。
前田 修様
院長とは、少林寺拳法を共に修練された縁という前田様。前向きな未来への思いを添えたメッセージをいただきました。メッセージを読む
前田 修様
「開院100周年」誠におめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。
先生とは少林寺拳法を共に修練させていただき、通院させていただくことになりました。当初から心のこもった治療をしていただき感謝しております。
私ごとですが、会社を退職し古稀を迎え、衰えていく身体を如何に上手く維持できるか不安を覚えつつ、少林寺拳法で子供達から楽しい話を聞き少しでも若返りをと思っております。また若い頃から収集してきたレコードを聴きながら木造模型を作ったり、最近では、大工をしていた亡き父が残した仕事場を遊び場としてDIYをしたり楽しく過ごしております。今になって父親に大工道具の扱いや手入れなど、もっと教わっていたら良かったとつくづく感じています。身近に居る時は気付きませんでしたが、居なくなるとその存在感が懐かしく思われます。
これからも多くの仲間や今後出会う人達と楽しく有意義な人生を送れるように、また自分なりに幸せを感じられるように心がけていきたいと思います。
最後になりますが、関口先生ならびに御家族の皆様、そしてスタッフの皆様方のご健康と益々ご活躍されることを祈念いたしております。
森 茂様
先生の助言で歯磨きの時間が増えたと語られた森様。予防の大切さをメッセージで頂戴いたしました。メッセージを読む
森 茂様
昔は近くの歯科医院に行っていましたが、何故か車で30分かかる関口歯科診療所(以前からの知人)に行くようになりました。色々な助言を頂き、今では定期健診に通っています。時々虫歯が見つかることもありますが・・・。
歯科医院は虫歯を治す所と考えていましたが、予防の大切さを学びました。
「口は食事をする器と同じ、きれいな器で食事を!」との助言で歯磨きの時間が増えました。
山田 廣美様
日々の食生活・歯磨きを意識して継続する事の重要性を先生から学んだという山田様から、メッセージを頂きました。メッセージを読む
山田 廣美様
30才半ば頃に歯の調子が悪くなり、この地区の沢山ある中での歯医者さん選びを考えていました。
その時に知人より関口歯科を勧めて頂き、先代の先生でしたが訪れてこの歯科を決めました。
私の希望は交通の便の良い所でした。
思った条件にぴったりでした。
数十年が経過して体調を崩しましたが、自分の足で通院が出来ています。
先生は患者さん一人一人に合ったメンテナンス・食生活の大切さが歯の存続と繋がる大切さ等々教えて下さり、自分でも色々勉強をしてきたのですが、ついつい面倒くさいのが勝ってサボっている別の自分がいます。
今では食後の歯みがきの時に先生の顔が浮かび「がんばりよ」って拍車をかけるように成りました。しめたものです…
一ヶ月一回の検診でその成果が数値に表れます。
私が考える事は先生を信頼して継続する事が大切だと痛感しています。
スタッフの方々の笑顔と愛に包まれて意気地無しの自分を戒めて日夜歯みがきをがんばっています。
そんな熱意のある暖かい歯医者さんです。
詫摩 元子様
合唱団で活躍していらっしゃる詫摩様が、プロのオペラ上演に参加された時のエピソードをお話くださりました。メッセージを読む
詫摩 元子様
学生時代から好きだったコーラス。
子育てと仕事で長く離れていましたが、仕事から解放されたのをきっかけに姫路市民合唱団に入団し、混声合唱を楽しんでいました。
そんな中、姫路市文化コンベンションセンター『アクリエひめじ』の開館記念として、創作オペラ『千姫』の上演に当たり民衆役として合唱経験者を募集しているのを知りました。
勿論私はオペラの経験はありません。
『千姫』は初上演作品である上に、オーケストラの演奏でプロの方と一緒に舞台に立てる!オペラ上演の過程を経験したい!
私は期待感一杯で参加を決心しました。
12月上旬の上演目指し、8月末から土日祝日返上での猛練習。合唱・演出や指揮者の諸先生方の熱心なご指導のお陰で無事に舞台を務める事が出来ました。
観衆の皆様から頂いた拍手の感動が忘れられず、昨年は第九に初挑戦!第九はこれからも毎年挑戦し続けたいと思っています。
その夢を叶える為にも、お口のメンテナンスは関口先生にお願いし、ヨガや体操を続け、元気に舞台に立ち続けたいなぁ~と願っています。
内海 啓子様
先代院長の頃から60数年にわたり通われている内海様。現院長の少年時代も垣間見える思い出話を頂戴しました。メッセージを読む
内海 啓子様
開院百年おめでとうございます。
私が先生にお世話になるようになって六十数年(!!)数えきれないほどの思い出があります。そのいくつかをお話しましょう。
今も覚えている最初の先生(先代の先生です)との出会いは小学生のころ、チョコレートの箱を一人で抱えて食べてつくった虫歯の治療に行ったこと。亀山の山電踏切近くの医院。背筋をピンと伸ばして座る診察台。怖かった先生。痛かった治療……これに始まり、次いで思い出すのは、高校生の時、いよいよ虫歯がひどくなり、奥歯を抜いた夏のことです。
抜歯の翌朝、目覚めると、私の口の中や口の周りは血糊のようなもので、べったり。何を食べたのやら、という有様。体温が上がり、傷口から出血したようでした。その頃は私の家と先生のお家が割と近かったので、投稿前にお家で消毒などの処置をしていただきました。
(ちなみに、その時、朝の歯みがきをしていた少年を見かけたのですが、それが現在の院長先生です)お正月のお餅で差し歯が取れ、正月早々にご厄介をかけたこともありました。思い出は尽きません。
しかし、もう一つだけ最近の事をお話します。それは九十五歳で亡くなった母のことです。母は少し認知症が表れたり、体調がだんだん良くなくなっていました。歯も噛み合わせが不調になり、食事も少なくなっていました。先生の、在宅での治療を受けるようになっていたのですが、亡くなる半年ほど前のある日、いつものように噛み合わせを見てもらったり、口内の清掃などを受けたのです。そうすると夕食をおいしそうに食べ、かみ合わなかった話もかみ合い、何よりも顔の表情がもどってきました。日頃から、先生は日々のブラッシングや噛み合わせの大切さや、歯と体全体との繋がりの事など話して下さいますが、その時ほど母の姿に目を見張り、お話をつくづくと実感しました。
私も高齢者になり、ますます歯を大切に、ブラッシングに励み、心身共に健やかに過ごしたいものだと思います。
長い間ありがとうございました。感謝、感謝です。そしてどうぞこれからも私の無理難題にも耳を傾け、事にふれてのお話をして下さいますようお願いいたします。
樫本様
牡蠣の養殖業を営んでおられる樫本様から、牡蠣養殖の重要なポイント・コツをご教示いただきました。メッセージを読む